墓じまいをすると罰が当たったり、不幸になったりするの?

お墓の手入れ・管理をする人がいない、子や孫に面倒をかけたくない、といった理由で行われる墓じまい。墓じまいを検討される方の中には、「罰が当たりそう」「先祖から祟られたらどうしよう」といった理由で悩まれることがあるようです。
実際にそのようなことが起こり得るのでしょうか?その真相に迫ります。
仏教には故人が祟るという教えはない
仏教は、生死の過程や死後の存在について独自の教えを持っていますが、その教えの中には亡くなった人が祟るといった内容はありません。
仏教では、人間の生命は輪廻(りんね)という概念に基づいており、死後に新たな生を迎えるとされています。人々は生死を繰り返しながら成長し、多くの生を経て解脱(げだつ)を目指すと説いているのです。
この輪廻の過程は、その人の個人的な業(ごう)や因果応報(いんがおうほう)という法則によって支配されると考えられています。業とは、善悪の行いであり、その結果が将来の生まれ変わりや遭遇する苦悩に影響を与えるとされているのです。
つまり、この輪廻転生(りんねてんせい)の概念と亡くなった人が他者を祟るというような行為や能力は関係しないということになります。
墓じまいの良し悪しをお寺のご住職に尋ねれば、宗派によって多少根拠が異なるものの、「しっかり供養し、然るべき手順や方法で対応すれば問題ない」という答えが返ってくることでしょう。
お墓を処分する前には魂抜き(閉眼供養)が行われる
お墓は建てられた時点ではただの石材ですが、お坊さんによる魂入れ(開眼供養)という儀式が行われることによって、お墓に魂が宿り、神聖な存在になるとされています。この後、ご遺骨がお墓に納められ、一般的なお墓になるわけです。
墓じまいでは、魂が宿ったお墓に対して、魂を抜く「閉眼供養」という儀式がまず行われます。この儀式では、ご先祖様に対する供養やこれまで見守って頂いたことへの感謝の意を含んだお経が読み上げられます。
※仏教の宗派のひとつである浄土真宗では、「魂」という概念がないため、魂入れ・魂抜きという儀式がありません。その代わりに「遷座法要(せんざほうよう)」「遷仏法要(せんぶつほうよう)」と呼ばれる仏壇や墓石などの移動や修理の際に行う儀式が執り行われます。
閉眼供養が執り行われたお墓は、魂入れ(開眼供養)が行われる前の状態、つまりただの石材となります。この後に、墓石の解体や撤去、お骨の取り出し、整地などが行われるのです。
このように、墓じまいは然るべき手順・流れで進められていくので、罰が当たる・祟られるといったことにはなりません。
供養されず、無縁仏になることが一番の問題
お墓にはご親族やご先祖様のお骨が納められており、多くの人が手を合わせ供養し、守り引き継いできたものであることは確かです。
このことを考えると、墓じまいすることに後ろめたさを感じてしまうかもしれません。
とはいっても、お墓をそのまま放置してしまうと、雑草や植木が伸び放題になり、墓地の荒廃に繋がります。隣接するお墓にも迷惑がかかるかもしれません。
また、墓石といえども長年風雨にさらされると劣化やひび割れ、浸食などが起き、少しの衝撃で傾いたり、倒れたりすることも起こり得ます。
このような状態が続くと、お墓は無縁仏として扱われ、墓地の管理者が強制的に撤去します。お墓の撤去の際に取り出されたご遺骨は合同のお墓に埋葬され、二度と取り出すことができず、供養することさえままなりません。
お墓を放置することは、ご先祖様に対して申し訳ないことですし、供養する機会を失ってしまう可能性もあります。
まとめ
墓じまいは、罰当たりなことではなく、ご先祖様から祟られるようなこともありません。お墓を処分・撤去するという行為に後ろめたさを感じてしまうかもしれませんが、墓じまいは寧ろ立派なことなのです。
無縁仏や墓地の荒廃を防ぐだけでなく、ご先祖様に対して感謝の意やお別れを告げる大切な機会でもあります。
とはいえ、お墓を心の拠り所としている方もいらっしゃいますので、墓じまいのメリット・デメリットをしっかりと押さえた上で、今後お墓をどうしていくのか話し合っていくことが大切です。
もし、墓じまいでのお困りごとやお墓の魂抜き(閉眼供養)を依頼したい場合は、ぜひ涙そうそうにお任せください。